今回は「南方熊楠の子孫は誰?実家や結婚した妻と息子・娘についても!」と題して、南方熊楠の妻や娘や息子、実家や、現在いる子孫などについて調査していきます。
南方熊楠は、植物学の分野で変形菌についての研究が有名です。
世界の植物学・民俗学に大きな功績を残した熊楠は自然保護活動の先駆者でもあり、のちに世界遺産登録された「熊野古道」が豊かな自然を現在まで残しているのは、熊楠の活動が大きく影響しているといわれています。
また、南方熊楠の実家は酒造で、現在でも子孫が継承し続けているようです。
現在、存在している南方熊楠の子孫は一体どんな方なのでしょうか。
南方熊楠の結婚相手の妻や息子や娘についても気になります。
そこで今回まとめた内容がこちらです。
- 南方熊楠の子孫は誰?
- 南方熊楠の実家は?
- 南方熊楠の結婚相手の妻は?
- 南方熊楠の息子・娘は?
それでは本題にいってみましょう!
南方熊楠の子孫は誰?
南方熊楠の直系の子孫はいません。
なぜなら南方熊楠の息子と娘には子どもがいなかったため、直系の子孫が途絶えたからです。
現在、南方熊楠の血筋として残っているのは弟の常楠(つねぐす)の家系のみとなっています。
常楠の家系は南方熊楠の父が創業した「南方酒造」を継ぎ「世界一統」という社名に変更し、現在も和歌山県に本社を構えています。
現在は7代目の南方雅博さんが社長となり引き継いでいらっしゃいます。
南方熊楠の実家は?
南方熊楠の実家は和歌山市の南方酒造です。
生誕地は和歌山市橋丁だといわれています。
熊楠は、父と弟の常楠さんが経営された南方酒造のおかげで、生涯学問にとりくむことができたと言われています。
大正15年まで会社組織を「南方酒造株式会社」としておりましたが、のち昭和46年に社名を酒名と同じ 「株式会社世界一統」に変更しました。
世界一統は、長年にわたってクオリティの高いお酒を作り続けてきましたが、約10年前ごろから、より質の高い酒造りを開始しています。
そのブランド名を自らの名にふさわしい「南方」と命名し、多彩なラインナップを作り上げ、近年はリキュールにも力を注ぎ、フルーツ王国和歌山の柑橘果実などを使った高品質なお酒を生産しているようです。
南方熊楠の結婚相手の妻は?
南方熊楠の妻は、田村松枝さんです。
松枝さんと出会う前、熊楠は仲間たちと連日のように飲み歩き、荒れた生活をおくっていたそうです。
そんな状況を見かねた学生時代からの親友の医師・喜多幅武三郎が、闘鶏神社の宮司の田村宗造の娘・松枝との結婚を仲介し、結婚することになったようです。
この時、熊楠が40歳、松枝が28歳でした。
境内にある仮庵山(かりほやま)の樹木が伐採されそうになった際には南方熊楠が保護に尽力したそうです。
長男が生まれたときは、その喜びを日記に「児を看て暁近くまで睡らず」と記すほどに喜んだそうです。
その後は、夫婦間に不和が生じ、一時、妻の松枝が実家に帰った時期もあったそうですが、周囲が取りなして収まったようですね。
奥さんを怒らせて実家に帰られてまったのであろう熊楠に、なぜか、すこし親近感が湧きました。
南方熊楠の息子・娘は?
南方熊楠には、2人の子供がいます。
長男の熊弥と長女の文枝です。
息子の熊弥は、高知高等学校受験のため四国に渡った際に、精神的な病気を起こし、その後、和歌山や京都の病院などでの療養生活を続けていました。
発病の原因は不明ですが、「熊楠の息子」であることが精神的な重荷となったともいわれ、病名は統合失調症とみられています。
熊楠は経済的な理由もあり、昭和12年に息子の熊弥を退院させ、海南市に家を借り、看護人をつけて面倒をみさせていました。
熊弥は症状が好転しないまま、53歳で生涯を終えました。
娘の文枝は、妻の松枝とともに晩年の熊楠を助けて「菌類図譜」などの研究活動を手伝っていました。
その後、日本大学経済学部教授の岡本清造と結婚。
岡本清造は、日本大学経済学部教授の仕事をしながらも、南方家の一員として熊楠の資料の整理・調査に努め、1947年にミナカタ・ソサエティの岡田桑三が南方家を訪れた際には一通りの説明ができるまでに調査を進めていました。
また、1949年には日本大学六十周年記念祝典において、熊楠の資料を昭和天皇に天覧、ご説明に尽力されたようです。
よって、娘の文枝は、夫と共に熊楠の遺した蔵書と原稿など研究資料のすべてを、保全し後世に伝えていきました。
まとめ
今回は、「南方熊楠の子孫は誰?実家や結婚した妻と息子・娘についても!」と題して、南方熊楠の妻や娘や息子、実家や、現在いる子孫などについて紹介しました。
いかがだったでしょうか?
南方熊楠の直系の子孫はいず、現在、南方熊楠の血筋として残っているのは弟の常楠(つねぐす)の家系のみで、「世界一統」の7代目の南方雅博さんなどがいらっしゃいます。
南方熊楠の実家は和歌山市の南方酒造で、現在は世界一統という社名で引き継がれています。
南方熊楠の妻は、闘鶏神社の宮司の娘・松枝さんで、長男の熊弥と長女の文枝の2人の子供を授かりました。
南方熊楠は、和歌山県が生んだ博物学の巨星と呼ばれ、自然に対する熱意や好奇心、少し変わった性格など、知れば知るほどまぶしい魅力を放つ人です。
彼が残した業績だけでなく、生き方そのものが、現代の私たちに様々なヒントを与えれくれるかもしれません。
今回は以上になります。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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